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「金魚鉢の中の幸福-1」から続く
早いもので、今年も桜が咲き、桜が散っていきます。毎年、自然は同じサイクルで回っています。人間も自然界の生物ですから、その大きな循環の中で生きているのです。生まれたからには誰でもやがては消えていく宿命なのです。そういう変えることのできない絶対があるのが解っているのですから、充実した生き方をしなければもったいないと言うもの。誰にも平等な24時間をどう使うか、本気になって考えることも必要です。
このお話は前回の続きです。このコラムの前号を先に読んでから、読んでいただけると幸いです。クリックすれば前回分が読めますよ。
さて、前回は、特攻隊の生き残りの七十歳代後半のおじいさんが、戦後、戦死した戦友への想いから一生懸命頑張って建設会社を経営してきたが、今になって銀行の手ひどい貸し剥がしにあって、自殺寸前という多少悲惨なストーリーでした。
「あの時、仲間と一緒に特攻に行ったほうが、むしろ幸せだったかもしれない」という老社長の悲痛な声が耳に残りました。しかし、私は、運命は「塞翁が馬」と言いました。人生の中には何度も失望することがあり、お先真っ暗になることもままあります。
人生そのものを放り出してしまいたいことだってあるのです。いつも元気イッパイで、健康で、悩みなんかまったくない人もいるかもしれませんが、そういう人はどこか人間として味が薄そうな気がします。生きている以上悩みがあるのは当然なのです。自殺まで考えた老社長は、ある晩、もうじき人手に渡るかもしれない自宅の小さな庭に出て、ぼんやり月を眺めていました。
そして、ここ何年も空に月があるのさえ思い出さないような生活をしてきた自分がいるのに気がついたそうです。自分は何のために生き残り、何のために生きてきたのか。果たして、人間らしい生き方をしてきたのか。今更悔やんでみても始まらないが、死んだ戦友に報いるという一部の真実を隠れ蓑にして、ただ、金儲けに走ってきただけのことではないのか。今、自分は銀行に泣かされているが、ここまで会社を大きくするまでに、どれほど下請けを泣かせたかわからない。泣いているのは自分ばかりでなく、泣かせた人もたくさんいるのだ。
因果は巡るというけれど、これも自業自得だ。老社長は、ようやく、今の不幸を招き寄せた原因の多くは自分にもあるということに気がついたそうです。それまでは、自分がこんな不運に見舞われたのは、だました銀行が悪いと一途に恨んできたけれど、自分だって調子の良い時には銀行を利用したのではないか。銀行だって商売なのだ。自分が下請けを泣かせたように、今度は自分が泣かされる番なのだと、つくづく思ったそうです。それから、老社長はガラリと考えが変わりました。生き方を変えたのです。
本来、銀行という「金貸し」を身内のように信用したことが、間違いの始まり。言ってみれば、それが銀行だろうが親戚だろうが、金を借りてしまえば、もう、借金の奴隷だということに気がつかなかった自分がバカだった。金を借りて商売をするということ自体が破滅の始まり。どんなに小さな商売でもいいから、自分の手の内でやれるものを大切に育てていくことのほうがどんなに気持ちがいいかわからない。借りた金だと思うから気持ちに隙ができるのであって、自分の金なら大事に運用する。同じ金でも思いが違う。今ある借金は石に喰らいついても返すとして、これからは絶対に無借金経営にしよう。どうせあの時、特攻機に乗っていれば死んだ生命だし、この先だってそう長いわけではない。やれるだけのことはやってみよう。そう思いついてからの老社長の会社改革は、すさまじいものだったそうです。
その方法論を書き綴る余白はありませんが、老社長は3年間で見事に倒産寸前の会社を再建しました。人間の運は、年齢や状況ではありません。本当に生きていこうという気迫が生じた時、幸運の女神は輝く翼に乗ってあなたの側に降り立つのです。
気合を入れて、あなたの人生をあなたの手で作りましょう。
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