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七政四余 @

世間に中国最高峰門外不出の、などと称している術法はたくさんあります。紫微斗数、八字(四柱推命)、風水、太乙神数、奇門遁甲…。しかし、中国の歴代朝廷が本当に極秘機密としたものは「果老星宗」または「七政四余」と呼ばれた七政星学でした。常に最新の天文情報を基にするこの七政星学こそが、各朝廷が国家と皇帝の命運を推し量り、政策を決定する為のテクノロジーであり、結果、朝廷以外での使用が一切禁じられた理由だったのです。 当時は、天文情報自体が機密情報でした。しかし、運命学としての精度も極めて高かったからこそ、皇帝の命専用として極秘機密にされたのです。
この七政星学の「七政」とは、太陽・月・水星・金星・火星・木星・土星の七つの天体を表します。また「七政四余」という名称で呼ばれる場合の「四余」とは、月の遠近点および白道(月の軌道)と黄道(太陽の軌道)の南北交点を指しています。 現代では、さらに詳細正確なデータを用いた星象学がありますが、天文に基礎を置いて「命」を読み解くという意味で、七政四余とは同系統のものということが出来ます。 今回は、数多くある命学の中で、この七政星学の特色や成り立ち、また他の運命学との比較などしたいと思います。
天文がすべての根源
多くの人が、いわゆる西洋占星学などが天文情報を使った運命学だと思っているようです。しかし実際は、それより遥か古代の中国を始めとする各地の古代文明において、天文情報を駆使したさまざまな技術や思想哲学が生み出されているです。 孔子の儒家思想の根本経典とされる四書五経は、中国だけでなくアジアの文明文化伝統に計り知れない影響を与えてきているものです。その筆頭に挙げられてきたのが『易経』です。二千五百年前、孔子がそれ以前から伝わるものと自らの加筆をまとめ編纂したものとされます。一般に、易経は易占の書と捉えられていますが、その中には、多くの天文に纏わる記載があるのです。さらに易経の源とされる河図・洛書そして先天・後天八卦さえも、「仰いでは天文を観、俯しては地理を察する」という言葉に見られるように、およそ六千年前(伏羲氏の時代)に天文と地理の観察から作られたものなのです。 現在に伝わる多くの占術や運命学の中には、この『易経』の考えや論理が応用されて入り込んでいるのです。同時に、「暦」という形で断片的に伝わった天文情報も加わって、さまざまな亜流の占星術などが生まれてきたのです。
紫微斗数の由来
「紫微斗数」は、中国では非常にポピュラーな占星術です。北斗と南斗の諸星を組み合わせて使うものです。これは、実は道教経典『道蔵』(明朝末期・十七世紀初)の中に記載されていたものでした。十八個の星を主にした道教の世界で用いられた命術の一種で、現在流行しているものとは随分異なるものだったのです。

▲【明末道藏本紫微斗數】
その後、清朝の同治年間(1862〜1874)になって、木版本『十八飛星策天紫微斗数』という書が刊行されます。前半は《十八飛星》(実際は先の『道蔵・紫微斗数』で、名称は改ざん)、後半が全く新しい占術としての《紫微斗数》です。内容は『道蔵・紫微斗数』に100個近い神?(日常諸事の吉凶)を加えた新紫微斗数とも言うものです。
いずれにしても紫微斗数を分析してみると、それは『果老星宗』または『七政四余』と呼ばれた古代七政星学の亜流であることがわかります。専門的になってしまいますが、十二宮次・命身宮主・大小二限・童限・倒限・竹羅三限・廟旺利陥・星躔格局・天干化曜・諸星気化・十二長生・十二神?・十二変曜・入垣失躔などや、数十の星と象などの用語や用法などはすべてが『琴堂五星集』『総亀紫府珍蔵』などの星学典籍から導かれていることがわかります。

▲【清同治木刻十八飛星策天紫微斗數】
現行の紫微斗数
今、盛んに行なわれている紫微斗数を見渡してみると、表面的には非常に精密にできているようにも見えるのですが、実際には、さまざまなものを寄せ集めて出来ているのです。専門的な観点で見れば、多くの欠陥や間違いがあることは否めません。ですから、もう一度、天文に立ち返って問題を整理改善するべきなのです。 さらに最近、もっと簡略化した紫微斗数も流行っています。日本や東南アジアでも広まっている僅か十四個の星と四化だけを用いた簡略版です。これまでの成り立ちを考えれば、その精度には問題を感じざるを得ないものです。
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