|
紫微斗数の命宮配置
この世で唯一の命:どんな人であれ、その命はただ一つです。ところが、世には《達磨一掌経》《子平八字》《紫微斗数》《七政四余》《伝統占星術》《現代星象学》などなど多くの命理学があり、それぞれに「命宮の配置法」があるのです。しかし方法が違ったとしても、結論としての「命宮」は一つであるべきです。何種類も命宮が出現してはおかしいのです。 紫微斗数の「命宮配置」:紫微斗数は、他の命理学とはかなり異なる体系を持っています。そして「命宮の配置法」も全く異なっています。
「@寅宮を正月にして、時計回りに出生月まで数える。
A次に、生月の場所から反時計回りに出生時刻を数えた所が命宮」
・例:1959年12月30日午前09:45(旧暦十二月初一巳刻)

@ 暦十旧二月→寅から時計回りに数えて12番目の場所が「丑宮」。
A 09:45巳刻→その丑宮から反時計回りに子・丑・寅…と数えて、巳にあたる場所が【命宮】。この場合は、「申宮(ふたご座)」となる。
八字(四柱推命)と七政四余の命宮配置
そして、「八字(四柱推命)」と「七政四余」の命宮配置法は、紫微斗数とは異なっています。
「@寅宮を正月にして、反時計回りに出生月まで数える。
A次に、生月の場所から反時計回りに出生時刻を数えた所が命宮」
・例:1959年12月30日午前09:45(旧暦十二月初一巳刻)
八字と七政四余は同じです。ただ、その考え方は二種類ありますので、下記に例を挙げておきます。なお、第2の方法は「太陽星座」などの名称を用いてはいますが、その考え方は八字でも変わりません。

【第1の方法】1959年は、12月8日が二十四節気の「大雪」です。年を越えて1月6日が「小寒」です。すると、例の12月30日はまだ大雪期間中にあることがわかり、つまり暦上、12月30日はまだ「十一月」となります。
@ 旧暦十一月→寅から反時計回りに数えて、11番目の場所が「辰宮」。
A 09:45巳刻→その辰宮から反時計回りに子・丑・寅…と数えて、巳にあたる場所が【命宮】。この場合は、「亥宮(うお座)」となる。

【第2の方法】一般の「太陽の星座」で考えて、12月30日生まれは「やぎ座」。つまり、「丑宮(やぎ座)」を起点にして考える方法です。
@ 09:45巳刻→丑から反時計回りに子・丑・寅…と数えて、巳にあたる場所を見つける。
A 巳刻は「申宮(ふたご座)」→これは「中天(南中星座)」に当たる。次にここを基準に命宮を見つける。 B 《A》反時計回りに270°つまり反時計回りに数えて10番目の宮を【命宮】とする。 《B》時計回りに90°つまり時計回りに数えて4番目の宮を【命宮】とする
十二宮の比較
後天十二宮:命宮が決まると、次に行なうことは順序に従って(時計回りに)「後天十二宮」を振り分けることです。1命宮→2財帛宮→3兄弟宮→4田宅宮→5子女宮→6奴僕宮→7夫妻宮→8疾厄宮→9遷移宮→10官禄→11福徳宮→12相貌宮。この配列は、中国西欧ともにほとんどの命理学でほぼ同様です。そして、これによって黄道星座または二十八宿と諸星の関係を、地上の具体的な人事事象に落とし込んで読むことができるのです。
紫微斗数:しかし、明朝末期から清朝にかけて興った「紫微斗数」では、配列も異なっています。1命宮→2兄弟宮→3夫妻宮→4子女宮→5財帛宮→6疾厄宮→7遷移宮→8奴僕宮→9官禄宮→10田宅宮→11福徳宮→12父母宮。

紫微斗数の方法は「まず父母があり、兄弟が生まれ、結婚し夫婦となり、子女が生まれる」という関係から出発し、次に生活の為にお金を稼ぎ(財帛)、体を動かし(疾厄)、遠方に出て行き(遷移)、仲間同僚とつき合い(奴僕)、遂に事業を達成し(官禄)、不動産を手に入れ(田宅)、晩年にその喜びを享受する(福徳)という人生の十二の変化を表わしているようでもあります。しかし、黄道を立脚点とし十二宮や命宮命度などを求める本来の星学とは違うものであると言えるのです。 冒頭で述べたような、天の諸星と人間との感応に基づいて運命が生じる、とする考えで言えば「紫微斗数」はいくつもの誤りを含んでいると言わざるを得ないのです。 紫微斗数には、また独自の理論があることも知っていますが、命理学を研究する上で、こうしたことは考慮検討する価値はあるのではないかと思います。
|