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スキャンを再開してすぐ、受信機が電波をとらえた。
それには、秘話がかかっていた。人の話し声らしいのはわかるのだが、くぐもったモガモガといった音声で、内容はまったくわからない。八木の言葉ではないが、そうしたチャンネルにあたることはめったにない。
笹岡は、秘話解読装置をいそいで受信機に接続した。
「奥さんは?」
ふいに、明瞭な音声が耳にとびこんできた。30前後ぐらいらしい、ハスキーな声の女だった。
「いま、コンサートを聞きに行っているよ」
男の声。だみ声で、柄の悪そうな印象だった。肥えた、がっちりとした体格の男を、笹岡は連想した。
「そう。せいぜい楽しまなくちゃね。長くない命なんだから」
笹岡は眉をひそめた。男の女房は病気なのだろうか。それにしては、女の声に揶揄するようなひびきがあるのが気になった。
「あいつにはかわいそうだが……仕方がない。これで、あのとりすました顔ともお別れだ」
「こわい人。しかし、奥さんもとんだ相手と結婚したものね」
いったい、何を話しているのか。笹岡は緊張した。二人は、いわゆる不倫の関係にあるのかもしれない。口調には、男女間の馴れ合いが感じられた。
「奥さんの保険金、いくらなの?」
「1億だ」
「すごいわ。それだけあれば――」
「だが、あまり期待するな。ここのところ景気が悪くて、借金もだいぶたまっている」
「そのお金で、早く清算して……。あたしだっていつまでも待てないわ。あなたと一緒に暮らしたいのよ」
「わかっているよ。おれだって、お前をたっぷりかわいがってやりたいんだ。しかし、慎重にやらないと。刑務所にぶちこまれたんじゃ元も子もない」
刑務所……思い出したくない過去の断片が、笹岡の胸をよぎった。高い塀によって外界と遮断された世界。その塀の内側で、笹岡は2年の歳月を過ごしたのだ。彼は、体が熱くなるのをおぼえた。
「事故に見せかけて殺す。それが一番安全だ」
「何か、いい方法でもあるの?」
女の声がふるえた。
「洗剤と漂白剤を混ぜると、塩素が発生するということを知ってるか」
「そうなの」
「ああ。あいつはきれい好きだから、風呂場の掃除をしていてそうやって塩素を吸いこみ、意識を失い、そのまま死んでしまう……」
「そんな方法で、ほんとうに殺せるの?」
「その手の事故で、現実に、何人か死んでいる。大丈夫だ。外出先からおれがもどってきた時には、もはや手おくれというわけさ」
笹岡はディスプレイに表示された周波数を見た。380.3375メガヘルツ。テープレコーダーでもあれば、会話を録音しておくこともできるのだが。手近の筆記具を引き寄せると、笹岡はふるえる手でその周波数をメモした。口の中がカラカラに乾いていた。
「実行はいつ?」
「今度の土曜日だ」
笹岡は、手にした受信機を茫然と見つめた。いま、自分が耳にした会話が、信じられなかった。
「どうしよう」
吐息と一緒に、つぶやきがひとりでにもれた。
今度の土曜日……一人の女が殺される。それを知っているのは、あの男女と自分だけなのだ。あと、4日しかない……。
どうしよう、どうしよう、と笹岡は胸の中でくり返した。通話が切れてしまったいま、その男女と自分とを結ぶ糸も、プッツリと断たれてしまっている。頭の中に熱い塊が生じ、笹岡の思考力を奪っていた。
会話には、おれ、お前、あたし、あなたといった二人称しか使われていない。したがって、固有名詞を手がかりにする、ということもできない。
ただ、ここにすわって、女が殺されるのを待つことしかできないのか。女が殺されたあと、警察にタレコミの電話を入れる。あれは、殺人だったと……。しかし、その証拠はない。
このアパートを中心として、半径200メートルの円の中に、殺人を実行しようとしている男と、その被害者になろうとしている女がいる! どうすればいいのだ……。笹岡の思考はカラまわりした。
電話が鳴る音で、笹岡は我に返った。
六畳一間のアパート。家具らしい家具もない。テレビ、ファンシーケース、テーブル代わりにしている炬燵の台……。殺風景な部屋だ。電話機は、部屋の隅、畳の上に直接置かれていた。
笹岡はその電話機に近づくと、受話器を取った。
「はい」
「ああ……笹岡さん、いたのか」
八木からだった。声に、安堵の調子が混じっている。
「君か。ちょうどよかった。いま、受信をしていて、大変な話を聞いてしまった」
「大変な話って、まさかそれ……」
八木の声は、どこかけだるそうだった。風邪をひいたのか、数日前から咳がつづき、苦しげだったが、いま受話器からも、短く呼吸をするような息づかいが聞こえていた。
「大丈夫か」
と笹岡はきいた。
「少し、熱があるみたい……。それより、その話というのは……」
笹岡は、受信機を通して自分が傍受した会話の内容を話した。
「そう……。ぼくも、その電話を聞いた」
「どうしたらいい?」
笹岡は、年下の同僚に助言を求めた。
「録音は、とっていないのか」
「ぼくも、とっさのことで、そこまで頭がまわらなかった。頭が……ぼんやりとしていて」
「君は、そんな体調の時まで受信をしているのか」
「ひまで、やることもないから」
八木は笑おうとしたようだが、はげしく咳こんだ。強い、苦しげな咳がつづく。
笹岡は、受話器を耳から離し、咳の治まるのを待った。
「周波数はメモした」
と、笹岡はいった。
「380.3375メガヘルツ。手がかりになるかな」
「ならない。そんなもの。コードレスホンのチャンネルは、380メガヘルツから、12.5キロヘルツ間隔で89チャンネルあるけれど、マルチ・チャンネル・アクセスといって、かけるたびに使う周波数がちがうんです。だから、そのチャンネル自体には意味がない」
「そうか……」
笹岡はため息をついて、
「声に、聞き覚えはない?」
「さあ……よくわからない。警察に、いうしかないよ」
「しかし……信じるかな。何の証拠もない。名前もわからない。警察もどうしようもないんじゃないか」
会話のはじめの方では、名前を名乗ったかもしれない。しかし、笹岡が受信した時点では、すでに話が始まっていた。八木が聞いたというのは、その最後の部分だった。
「信じなくても――」
八木は、また咳こんだ。
「まかせるしかないでしょう。警察に……」
「ほんとうに、大丈夫か、体?」
「今日は祝日だから、どうしようもない。明日になったら、医者に行きます」
……続く
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