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飯塚自動車に出ると、すでにシャッターがあいていた。
作業場に足を踏み入れて、
「おっ」
と笹岡は声を上げた。
いつの間に運びこまれたのか、作業場の中には、ポルシェ928GTがはいっていた。ブロンズ・カラーのスポーティな車体には重量感があり、たいして広くもない工場の中で、ひときわ目立った。大きく張り出したフェンダ、フロントに搭載したV8エンジン、5段マニュアル・ミッション……。リトラクタブル・ヘッドライトが、いまはヒラメの目のように天井を向いていた。
リフトで持ち上げたポルシェの下から、飯塚が顔をのぞかせ、
「おう」
と、いった。
こういう車がはいると、飯塚は機嫌がいい。根っからの車好きなのだ。
飯塚には、昨夜のうちに電話を入れて、八木の入院を伝えてあった。
パーキング・ブレーキの引きしろ調整、ブレーキ・パッドの点検、オイル交換と、その日、笹岡は仕事に追われた。
夜になって、笹岡は八木のアパートに行った。預かった鍵で、部屋にはいる。下着やパジャマ、洗面用具などをとどけてくれと八木に頼まれていた。
机の上に、『受信ノート』と表紙に書かれた大学ノートが置かれている。笹岡はそれを手に取って、パラパラとめくった。
そこには、コードレスホンのユーザーの個人情報が、克明に記されていた。
――脇田耕一。42歳。銀行勤務。妻ユリコ。サラ金に300万の借金あり。妻は知らない模様。娘はイクエ。中三。
――ショージ・エリカ。英明女子大。ボーイフレンドはナガイ・マサシ。土曜日の夜、男が泊まりに来る。
――アサノ・ヒロミ。男にふられたようす。友人、エイコ。友和マンション301号室。
カタカナで名前が記してあるのは、字がわからないためだろう。住所や電話番号が書きこんであるものもある。
『電話だけ聞いていて、どうしてこんなにわかるんだ?』
と、笹岡はきいたことがある。
『ええ……まず、電話に出た時に、名前をいうでしょ。それをメモるんです。出前を頼んだり、通信販売で買い物をしたりする時は、住所や部屋番号、電話番号もいいますから。発音から、電話帳を引いてもある程度わかります。何回も聞いていると、家族構成や職業、交友関係なんかが次第にわかってきます』
なるほど、と感心すると同時に、そらおそろしくもなった。マニアにかかると、コードレスホン所有者のプライバシーは、徹底的にほじくり出されてしまうのだ。
笹岡はさらにページをめくった。
――マサミ。30代か。もとホステスらしい。
笹岡は息がとまりそうになった。マサミ……。
頭をふった。いや、彼女とはかぎらない。電話の声だけだから、年齢もあてにならない。マサミという音から考えられる漢字も、いくつもある。しかし……
笹岡は、あらためてそのノートにていねいに目を通した。が、マサミについてふれているのは、その個所だけだった。最近になって転入してきたのか、あるいは、有線電話をコードレスに買い替えたのかもしれない。
夕食を外ですませ、自分のアパートにもどると、笹岡は受信機のスイッチを入れ、ワッチを開始した。
1時間ほど、そうやって漫然と電話のやりとりを聞いていた。通話が切れると、受信機は、自動的に使われているチャンネルをサーチする
そのチャンネルには、秘話がかかっていた。笹岡は緊張した。昨日の会話が、あざやかに耳の奥によみがえった。秘話を解除する。
「主人ですか。ちょっと、お待ちください」
八木のアパートで、あのノートを見たためだろうか、その声が真沙美の声に聞こえた。たしかに、真沙美の声のような気がする……。笹岡の胸がときめいた。
しばらく間があって、
「ああ、おれだ」
と、男の声が、イアフォンに流れた。だみ声。あの男だ! 笹岡は受信機をにぎりしめた。
「社長ですか。今井です。実は……」
耳の奥で、血管が脈打った。
しばらく、今井の話がつづいた。
「うん……うん、わかった。それで、横尾の方はどうなんだ?先方のいうことだけ、はいはいきいていたんじゃ、仕事にならんだろうが」
笹岡は、もう一度よく男の声を確認した。まちがいない。やはり、あの男だった。
さっきの声は、ほんとうに真沙美だったのか? ――自分に問いかける。確信はない。だが、もし……もし真沙美だとしたら……。
戦慄が、笹岡の体を貫いた。
通話は切れた。そして、笹岡と男を結ぶ糸も……。
今井。横尾。
固有名詞が出たのは、それだけだった。今井の方は、男を「社長」としかよんでいない。「横尾」にしても、社名の可能性もある。
笹岡は唇をかんだ。少ない。手がかりはあまりにも少なかった。しかし、男がこのアパートの周辺にいるだろうことは、まちがいない。それが、200メートルか、2キロなのかは別として。
今度の周波数は、381.1250メガヘルツだった。八木のいうように、それ自体は手がかりにならない。しかし、男の使っているコードレスホンは、つねに秘話がかかるようになっているらしい。
『最近のコードレスホンには――』
と、八木がいった。最初に、彼のアパートを訪ねた時のことだった。
『盗聴防止のボタンがついていて、それを押すと秘話がかかるようになっているんです。だけど、中にはいままでのコードレスホンの基板に、秘話化のためのICを組みこんでしまった製品もあって、そういうのだと、いつも秘話がかかりっぱなしの状態です』
おそらく……と、笹岡は思った。男の使用している電話機は、秘話がかかりっぱなしで、そうした切り替えができないタイプの製品なのかもしれない。
とすると……笹岡は思考を追った。特定の周波数で張っていることは無意味だが、秘話のかかっているチャンネルをサーチすればいい。それは、重大な目印になるはずだった。
……続く
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