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田宮 規雄 |
ご挨拶
私は現在、占い師として活動しているが、最初になりたいと思った職業は小説家である。中学生の時分から小説めいたものを書いていた記憶がある。当時の愛読書が松本清張やアイザック・アシモフで、このころすでに大人の小説を読みふけっていた。大学生のころは、ジュニア小説なども書いた。
30を過ぎて、ミステリーに転向した。と同時に、小説講座に通い始めた。講師は『伯林(ベルリン)――1888年』で江戸川乱歩賞を受賞した海渡英祐氏。週一回のペースで、私の小説講座通いは十年に及んだ。今回、発表する小説はそのころに書いたもので、当然のことながら、パソコンも携帯電話も出てこない。読者が、小説の背景に違和感を覚えるとすれば、それはそうした事情からである。 小説の主人公笹岡は、コードレスホンの傍受をしていて、偶然に殺人計画を聞いてしまう。彼は、犯行を阻止できるのか? そして、タイトルの表す「殺意の半径」とは、いったい……
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― 8 ―
5月7日、土曜日――。
不快な目覚めだった。二日酔いのあとのように頭が重く、頭痛がした。
枕元の時計は、午前8時をさしている。
笹岡は起き上がった。流しで顔を洗い、頭に水を浴びると、いくらか意識がはっきりしてきた。
前夜は、なかなか寝つかれなかった。神経が高ぶり、さまざまな思いが胸に去来した。明け方近くになって、少しまどろんだようだが、その眠りの中でもどす黒い悪夢のようなものを見ていた。
インスタント・コーヒーをいれて、飲む。それから、飯塚自動車に電話をかけた。
電話に出た飯塚に、今日は休ませてほしい、といった。
「困るなあ。八木君も休んでいるし、仕事もたまっているんだ」
「ええ……」
と、笹岡はいった。
「どこか、具合でも悪いのか」
「実は……母が危篤なのです」
演技を必要としないほど、笹岡の声は沈んでいた。
「そうか……」
きのうの、笹岡のそわそわしたようすを思い出したのかもしれない、飯塚は、
「わかった。そういう事情ならしかたがない。行ってくるといい」
と、いった。
笹岡は礼をいって受話器を置いた。
――ついに、土曜日を迎えた。これからどうするか……。もう、いくらも時間は残されていない。
無力感が、笹岡を浸していた。四肢に力がなく、頭には、何も浮かんでこない。
こんな時、八木がいてくれたら――と、笹岡は思った。八木が……
笹岡ははっとした。八木……八木だ。笹岡は、自分を笑いたくなった。何というバカなのだ。なぜ、いままでこんなことに気づかなかったのか。
笹岡は、あわてて、先日買い求めた地図を取り出した。それを、テーブルの上にひろげる。鼓動が速まり、頭脳が回転をはじめた。地図には、笹岡のアパートを中心とした小さな円が描かれていた。
コンパスを持つ。
八木も、あの電話を傍受しているのだ。それはつまり、発信源が、八木のアパートからも200メートル以内にあることをあらわしてはいないか。
笹岡は、コンパスを200メートルに相当する間隔にひらくと、八木のアパートを中心にくるりと円を描いた。その円は、前の円と一部で重なり合った。紡錘形の、せまい地域が浮かび上がった。
それは――昨夜、笹岡が進もうとした方向に一致していた。地図では、笹岡と八木の住まいとの中間あたりである。そして、その紡錘形のかなりの部分を、マンションの建物が占めている。
笹岡は興奮した。真沙美は、このマンションか、もしくはその付近に住んでいるにちがいない。
彼は立ち上がった。その可能性に賭ける以外になかった。
アパートを出た。今度こそ、真沙美にいきつける、と思った。
酒屋の角をまがると、100メートルほど先にそのマンションが見えた。7階建て。ベージュのレンガ・タイルが、洒落た外観をつくり出している。各階に10世帯ぐらいははいっているだろうか。このあたりでは、比較的大きなマンションだった。
笹岡ははっとなった。マンションの玄関脇に、ごみ置き場が設けられている。そこから、女が一人姿をあらわした。玄関へ向かう。女は、花柄のワンピースに身をつつんでいた。
真沙美だった。遠目にも、見まちがいようはなかった。
笹岡は走った。真沙美が玄関に姿を消す。100メートルを一気にかけ抜けた。
マンションに達すると、息が乱れ、脚がふるえた。玄関をはいる。玄関ホールに、真沙美の姿はなかった。ホールにはエレベーターがあり、その脇に階段があった。
エレベーターが動いていた。階数を表示するランプが、2から3に変わり、4階でとまった。
4階か。
エレベーターのボタンを押す。今度は逆に、ランプが4、3、2と点滅し、ケージの下がってくる気配がした。笹岡は唾を飲んだ。
ドアがひらく。エレベーターに乗りこんで、笹岡はほっと息をもらした。間に合ったのだ。真沙美は、まだ生きている。
4階で、エレベーターを降りる。廊下が延びていた。道路に面した側には、低い手すりがついていた。
ドアの脇についたネーム・プレートを見ながら、笹岡は進んだ。
佐藤……。405号室だった。
笹岡は息を吸いこんだ。一悶着起こるのはさけられないだろう。その場合は、力ずくでもつれ出すつもりでいた。
笹岡はインターフォンのボタンを押した。真沙美が出てくれれば、一番いいが……。
「はい」
男の声がして、中で人の動く気配がした。記憶にある声とは、ちがうような気がするが……。笹岡は眉をひそめた。
ドアがひらいた。眼鏡をかけた、50がらみの神経質そうな男が顔をのぞかせた。パジャマの上に、ガウンを羽織っている。
「何か?」
と、男はいった。笹岡を値踏みするように、下から上へと視線が動いた。
「こちらに……真沙美さん、いらっしゃいますね?」
一息にいった。
「何?」
男の声がとがり、目がけわしくなった。
「上がらせてもらいます」
笹岡は男を押しのけると、靴のまま室内にはいりこんだ。
「待て、こいつ!」
男が追いすがり、笹岡の肩をつかんだ。
もみ合うように、笹岡は奥へ進んだ。短い通路の先は、リビングになっていた。
「だれなの、あなた?」
やはり、50に近いと思われる女が、おびえたような目をして立ちすくんだ。
「そうか……お前か。きのうの夜、マサミに電話をかけてきた男は。いったい、マサミとどういう関係なんだ?」
男は、うなるような声でいった。
「………」
笹岡は息がとまった。しまった、と思った。ここではない。
「出ていけ! マサミにつきまとうな。警察を呼ぶぞ!」
男は壁を背にし、体をブルブルとふるわせた。顔面が蒼白になっている。
「失礼――」
短くいうと、笹岡は玄関に向かった。
廊下に出た。中からすぐに、ガチャリと錠のかかる音がした。
なぜだ?……笹岡は、狐につままれたような気持になっていた。たしかに、エレベーターは4階でとまったのだ。
笹岡は廊下を歩いた。念のため、ほかの部屋のネーム・プレートも確認する。
なぜだ? そんなはずはない。あの女は、真沙美ではなかったのか……。笹岡の思いこみが、他の女を真沙美と誤認したのか。
笹岡は、思考力を失い、しばらく呆然と立ちつくしていた。手すりに腕を置き、明るくひろがっている町並を見下ろした。その晴れやかさが、笹岡の心を憂うつにした。どれぐらい、そうしていただろうか。
彼は、はっと我に返った。サイレンが聞こえた。それは、だんだんと近づいてくる。けたたましいサイレンの音が、周囲をつつんだ。
道路を見ると、パトカーがマンションの前に停車したところだった。回転灯が、赤い光をまき散らした。
さっきの男が、警察を呼んだのだ。
まずい! と、笹岡は思った。警官が来れば、笹岡は住居侵入の準現行犯で逮捕されるだろう。そして、警察署につれて行かれ、取り調べを受けることになる。そんな時間のロスをするわけにはいかなかった。その間に、真沙美は殺されてしまうだろう。
笹岡の言い分を警察が聞いてくれるとも、とうてい思えない。
体内を、緊張がかけ抜け、皮膚にチリチリとした感覚が走った。
逃げるのだ! いまは、逃げるしかない。つかまるわけにはいかない。
パトカーから、二人の制服警官が降り、マンションの玄関へ向かうのが見えた。
エレベーターを使うのは危険だった。笹岡は階段に向かった。3階までかけ降りたところで、下から上ってくる靴音が聞こえた。彼は足をゆるめた。何くわぬ風を装って、やり過ごすのだ。笹岡はゆったりとした姿勢を保ちながら、階段を降りた。
ドキリとした。下から上がってきたのは、20代の若い警官だった。一人がエレベーター、一人が階段と、分かれたのだろう。笹岡は、その警官から顔をそむけるようにした。脇を通り過ぎようとする。
「ちょっと、待ちなさい」
警官の声が、笹岡を制止した。
笹岡は、警官に体あたりした。考えるより先に、反射的に体が動いて、警官をつきとばしていた。
「あっ!」
警官が、下の踊り場まで階段をころがり落ちた。
笹岡は階段をかけ降りた。倒れている警官をとび越える。体内をアドレナリンがかけめぐった。
「待て! とまれ!」
背後から、するどい声が追いすがる。
1階に達した。警官は追ってこない。階段から落ちた拍子に、足でも傷めたのかもしれない。
道路にとび出すと、笹岡は全速力で走った。いくつも、角をまがった。息が切れるのもかまわず、走った。
ようやく、肩で息をつきながら立ちどまる。体中に、汗が涌いていた。神経が張りつめていた。
大変なことになった……やっと、その意識が来た。住居侵入、公務執行妨害……。いまごろ、警察無線を通じて、応援を依頼しているかもしれない。笹岡の人相や体つき、年齢、服装などの特徴も伝えていることだろう。
とにかく、アパートにもどることだ。
いまは、じっと身をひそめ、警察官が立ち去るのを待つしかなかった。
アパートに帰り着くと、疲労困憊していた。流しで水を飲み、畳に大の字になった。
窓の外に、パトカーのサイレンが聞こえた。それは、近づき、遠ざかっていった。
頭の中が、空白になっている。
しばらく横になったままでいると、次第に空腹を感じてきた。今日は、まだ何も食べていないことに気がついた。
起き上がって、冷蔵庫をあけてみる。ウーロン茶のパック、しなびた野菜、いつ買ったかわからない肉や卵がはいっているだけだった。肉の包みに鼻を近づけると、猛烈な悪臭がした。
笹岡は冷蔵庫の扉を閉めた。
何も、重大犯罪を犯したわけではない。しばらくは、周辺のパトロールがつづくだろうが、2、3時間もすればそれも解けるにちがいない。
笹岡は、警察の動きを知りたいと思った。しかし、それはできないことだった。現在では、所轄系の警察無線はデジタル化されていて、傍受不可能なのだ。
あれは……と、笹岡は思いをめぐらせた。たしかに真沙美だった――。しばらく考えているうちに、それは確信になった。真沙美は、あのマンションにいる。しかし、どこに?……
笹岡は、マンションの玄関をはいってからのことを思い出そうとした。ホールには、だれもいなかった。エレベーターが動いていた。2階……3階……4階……階数表示のランプが点滅する。途中の階に停止したようすはなかった。だからこそ、笹岡は四階をめざしたのだ。そして――エレベーターの横には、階段があった。
「階段!……階段だ」
言葉が、口をついて出た。目の前が、いきなりひらけた思いがした。
あの時、ホールには、エレベーターを待っているもう一人の人間がいたのだろう。そして、真沙美は階段を上った。とすれば……2階。せいぜい3階だろう。それ以上になれば、エレベーターを使うはずだ。
時計を見た。9時半になっていた。笹岡は気持があせった。
……続く
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田宮 規雄(たみや・のりお) プロフィール |
1951年広島県生まれ。占術家の長男として生まれ、父親の薫陶を受けて育つ。23歳から本格的に中国占術の研究に入り、透派13代掌門張耀文師より「印可」を授かる。占い専門学校などでの講師歴は30年に及ぶ。中国系占術のみならず、西洋占星術にも通じている。現在、中国開運占術学会を主宰。日本占術協会理事。
著書に『三式家相盤完成図』『七政星術奥義』などの専門書をはじめ、『秘伝紫薇斗数占術』(祥伝社)、『赤ちゃんの命名事典』(小学館)、『たまひよ版赤ちゃんのしあわせ名前事典』(ベネッセ)、『もっともわかりやすい紫微斗数占い』(説話社)などがある。「MISTY」「恋運暦」「たまごクラブ」などの雑誌でも活躍中。中国占術による鑑定、教授、パソコンソフトの取り扱いなども行っている。
@nifty:アジアン占術物語「中国式四柱推命」「紫微斗数」が人気。
田宮規雄の占い塾HP→http://tamiya.chu.jp/index.html
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