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田宮 規雄 |
ご挨拶
私は現在、占い師として活動しているが、最初になりたいと思った職業は小説家である。中学生の時分から小説めいたものを書いていた記憶がある。当時の愛読書が松本清張やアイザック・アシモフで、このころすでに大人の小説を読みふけっていた。大学生のころは、ジュニア小説なども書いた。
30を過ぎて、ミステリーに転向した。と同時に、小説講座に通い始めた。講師は『伯林(ベルリン)――1888年』で江戸川乱歩賞を受賞した海渡英祐氏。週一回のペースで、私の小説講座通いは十年に及んだ。今回、発表する小説はそのころに書いたもので、当然のことながら、パソコンも携帯電話も出てこない。読者が、小説の背景に違和感を覚えるとすれば、それはそうした事情からである。 小説の主人公笹岡は、コードレスホンの傍受をしていて、偶然に殺人計画を聞いてしまう。彼は、犯行を阻止できるのか? そして、タイトルの表す「殺意の半径」とは、いったい……
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― 最終回 ―
11時になった。これ以上は辛抱できなかった。笹岡は、この数時間のロスのために、真沙美の命が失われていないことを祈った。
ワイシャツに着替える。ネクタイをしめ、出所後買い求めた安物の背広を着た。それから頭髪にリキッドをふりかけ、髪を七三に分けた。あの若い警官と、一瞬顔を合わせただけである。どれほどの印象が残っているか不安だったが、服装だけでも変えておく必要があった。
マンションの前に、パトカーはなかった。警察官の姿もない。30前後の主婦らしい女が二人、立ち話をしている。あの騒ぎが、嘘のようだった。
笹岡はマンションの玄関をはいった。左手に、ステンレス製のメール・ボックスがならんでいる。入居者の名前が記されていた。202号室に「佐藤」とあった。念のため、他のボックスにも目を走らせたが、あとは4階の先ほどの部屋だけだった。
階段を上った。一段ごとに、体内に緊張感が高まってくる。
202号室の前に立った。インターフォンのボタンを押す。応答はなかった。笹岡は、もう一度ボタンを押した。
「はい。どなたですか」
にごった、男の声だった。それは、笹岡の記憶にある声と一致した。
「区役所の方から来ました」
と、笹岡はいった。
ガチャッとインターフォンをかける音がした。しばらくして、ドアがひらいた。
男は、笹岡が抱いていたイメージにほぼ近かった。50前後、肥えていて、苦虫をかみつぶしたような顔をしていた。高価そうなカーディガンを羽織っている。
「区役所が何か……」
男はだみ声でいった。
「ええ」
いきなり、笹岡は男の股間を蹴り上げた。
「うっ」
男がうめいて、しゃがみこんだ。股間をおさえている。
笹岡は室内にとびこんだ。間取りは、4階と変わらない。短い通路が、リビングに延びている。
通路の左手のドアをあけ放った。ベッドが見えた。右手のドアをあける。浴室をのぞいた。
笹岡ははげしく咳きこんだ。強烈なカルキ臭が、鼻孔と肺を刺激した。うす暗い浴室に真沙美の姿はなく、バスタブにはかなりの量の液体がたたえられていて、臭気はそこから発していた。いそいで浴室のドアを閉める。
咳きこみながら、笹岡は奥のリビングへ向かって突進した。
「待て、このやろう!」
苦しげな男の声が追いすがった。
リビングにとびこむ。
そこに――女が倒れていた。花柄のワンピースを着た女が、カーペットに横たわっていた。
「真沙美!……」
笹岡はかけ寄った。真沙美の体は温かかった。指先に、彼女のぬくもりが伝わった。睡眠薬でも飲まされているのだろう、目を閉じた真沙美の顔は、ノーブルな印象をさえ与えた。
「だれだ、お前?」
笹岡はふり向いた。男とにらみ合う。
「彼女の、もと亭主だ」
「ほう……」
男の唇が、楽しそうにゆがんだ。
「彼女はつれていく。文句はいわせない」
「お前、自分のやっていることがわかっているのか」
「あんたこそわかっているのか。彼女を、みすみす死なせるわけにはいかない」
男の表情に驚愕があらわれた。目が一瞬見ひらかれ、それから細くなった。笹岡の真意をはかりかねているのかもしれない。
「警察を呼ぶぞ」
「呼びたければ呼べ。だが、困るのはあんたの方だ」
笹岡は、ゆっくりと立ち上がった。
「きさま……」
「電話を盗聴した。殺人計画を聞いた」
「バカなやつだ」
男が動いた。笹岡に向かって突進し、タックルした。身をかわそうとしたが、おそかった。もつれ合った姿勢のまま、壁際の洋酒のキャビネットに倒れこんだ。はでな音を立てて、ガラスが砕け散った。笹岡は、したたかに腰を打った。
男は、左手で笹岡のネクタイをつかんで引き起こすと、ボディにパンチをたたきこんだ。
「うっ!」
一瞬、息がとまる。笹岡は思い切って膝蹴りをくらわせた。男に隙が生じる。笹岡の右の拳が、男の顔面に炸裂した。男は、後ろによろけた。
「よせ!」
笹岡は叫んだ。
「こんなことをしてどうする?」
男はあえいでいた。息をするたびに、肩が大きく上下した。目が、すばやく左右に動く。置き時計をつかんだ。それを投げつける。
笹岡は身をかわした。男がとびこんできた。笹岡のブロックをくぐって、強烈なアッパーカットが見舞った。床に転倒した。意識が乱れた。口の中が切れ、血の味がひろがる。
男は笹岡に馬乗りになり、首をしめはじめた。強い力だった。笹岡は、それをふりほどこうと必死にもがいた。指が、のどにくいこむ。男は、全身から殺意を発散させていた。
体をひねった。その拍子に、腕に背広の胸ポケットにさしたままになっていたボールペンがふれた。右手でそれをつかむ。指でキャップをはじきとばす。ペン先を、思い切って男の左腕につき立てた。
男が悲鳴を上げ、首をしめつける力がゆるんだ。笹岡はおおいかぶさった体をはねのけた。天井が見えた。火災報知機のセンサーが取りつけられている。
はね起きると、笹岡はダイニングのテーブルの上にとび上がった。ジャンプする。天井のセンサーを思い切りたたいた。
とたんに、廊下でけたたましいベルの音が鳴りひびきはじめた。センサーが作動したのだ。
「もうよせ」
床にとびおりると、息を切らせながら、笹岡はいった。
「いま、みんながかけつけてくるぞ」
男は、左腕をおさえ、笹岡をにらみつけている。
「彼女はつれて行く」
笹岡は真沙美のそばに寄った。二度、三度と頬をはたく。
真沙美が、うっすらと目をひらく。焦点が定まらない目で、笹岡を見た。
「あなた……」
口が動いて、弱々しい言葉が出た。が、情況は理解していないにちがいない。
「ああ……」
笹岡はうなずいた。彼女の体の下に腕をさし入れ、抱え上げた。
その瞬間、笹岡は痛みを感じた。灼熱するような感覚が、背中に生じた。ささえきれなくなり、真沙美の体がにぶい音を立てて床に転げ落ちた。
笹岡はゆっくりとふり向く。いつの間にか、男の手に果物ナイフがにぎられていた。ナイフの刃が、血に染まっていた。男の体が、ブルブルとふるえている。
笹岡は、渾身の力をこめて、男の顔面にパンチをたたきこんだ。男の体がふっとんだ。
警報が鳴っている。傷口からは、脈を打ちながら血が流れ出していた。笹岡は立っていられなくなり、膝をついた。体がくずれた。
「真沙美……」
腕を伸ばす。彼女の手がふれた。それは、温かかった。
視野がかすみはじめた。警報が鳴りつづけている。
うすれゆく意識の中で、笹岡は、入り乱れるいくつもの足音を聞いた。
……完
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田宮 規雄(たみや・のりお) プロフィール |
1951年広島県生まれ。占術家の長男として生まれ、父親の薫陶を受けて育つ。23歳から本格的に中国占術の研究に入り、透派13代掌門張耀文師より「印可」を授かる。占い専門学校などでの講師歴は30年に及ぶ。中国系占術のみならず、西洋占星術にも通じている。現在、中国開運占術学会を主宰。日本占術協会理事。
著書に『三式家相盤完成図』『七政星術奥義』などの専門書をはじめ、『秘伝紫薇斗数占術』(祥伝社)、『赤ちゃんの命名事典』(小学館)、『たまひよ版赤ちゃんのしあわせ名前事典』(ベネッセ)、『もっともわかりやすい紫微斗数占い』(説話社)などがある。「MISTY」「恋運暦」「たまごクラブ」などの雑誌でも活躍中。中国占術による鑑定、教授、パソコンソフトの取り扱いなども行っている。
@nifty:アジアン占術物語「中国式四柱推命」「紫微斗数」が人気。
田宮規雄の占い塾HP→http://tamiya.chu.jp/index.html
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