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コードレスホンの傍受をしていた笹岡幹夫は、偶然に殺人計画を聞いてしまう。4日後に一人の女が殺される。何としてでも阻止しなければ。笹岡の孤独な闘いが始まった――。
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笹岡幹夫は、左手に持った広帯域受信機のスイッチを入れた。受信機、といっても携帯用のそれで、トランシーバーか何かのように見える。機械から、ゴムだかビニールだかでおおわれた、先の丸いアンテナが伸びている。本体の上部には液晶ディスプレイ。その下に、複雑なボタンがいくつもならんでいた。
5月3日。休日の午後である。晴れやかな町並が、窓の外にひろがっていた。
380メガヘルツ帯に合わせてスキャンを開始する。ディスプレイの上を瞬くように数字が流れ、すぐに入感してきた。
「鎌田ですけれど――」
女の声だ。若くはない。笹岡と同年配ぐらいか。
笹岡はイアフォンをいじった。本来、イアフォンなどつけて聞く必要もない。木造アパートとはいえ、ボリュームさえしぼれば、隣室に音がもれることもないだろう。
時々、そのことで笹岡は苦笑する。盗聴をしている者が、隣室にもれ聞こえるのをおそれている……。いや、というより、やはりその行為にどこかでうしろめたさを感じているからなのだろう。
もっとも、厳密には、この程度は盗聴とはいえないかもしれない。たれ流しになっているコードレスホンの電波を傍受しているだけなのだから。
笹岡は、女の声に耳を澄ました。
「先日おうかがいした時に、そちらに傘を忘れてきてしまったの」
「ああ、ディオールの傘でしょ。あるわよ。すてきな傘ね」
電話の受け手も、やはり40年配の女性だった。
「今日、そちらの方へ出かける用があるので、取りに行っていいかしら」
笹岡はその会話に見切りをつけると、ふたたびスキャンを開始した。
41歳。離婚歴のある中年男の趣味としては、けっして健康的とはいえない。だが、その趣味は、笹岡をひきつけてやまない妖しい魅力をもっていた。機械を手にすることで、彼は、神のようにあらゆる空間に身を置くことができた。自分の前で、男が、そして若い女が、衣服を脱ぎ捨てるようにその私生活をさらけ出す……。イアフォンからプライベートな会話が流れ出すと、笹岡はかすかな興奮をおぼえ、体がふるえた。
笹岡にこの趣味を教えたのは、自動車整備工場に勤める同僚の八木俊則であった。同僚といっても、八木は24歳。笹岡より17も年下である。が、八木とはふしぎに気が合った。
ひと月ほど前、その八木から居酒屋にさそわれた――。
『笹岡さん、これからうちに来ませんか』
居酒屋のカウンターで飲み始めてから、2時間ほどが経過していた。八木の顔はだいぶ赤くなっていた。
『えっ、これから?』
笹岡は腕時計を見た。時刻は、午後9時をまわっていた。
『これからがゴールデン・タイムなんです。いいものを聞かせてあげるから』
八木は、屈託のない笑いを浮かべた。笑うと、少年のような顔になる。額に無造作にかかった髪も、その印象を強めていた。
『何だい、いいものって?』
裏ビデオでも見せてくれるのか、とも思ったが、それなら『いいものを聞かせる』とはいわないはずである。
八木が、秘密めかしてそれ以上語らないことも、笹岡の興味をさそった。
八木の住まいは、居酒屋から歩いて6、7分ほどの距離にあるアパートだった。笹岡のアパートとはちがい、白い壁の新しい建物であった。
『まあ、どうぞ』
うながされて、笹岡は靴を脱いだ。
男の部屋にしては小ぎれいで、きちんと整理されている。八木の几帳面な性格を思わせた。
部屋には、壁に寄せてベッドが配されていた。右手に、ステレオ・コンポが積み上げられ、その上にデジタル時計がのっている。
窓際にすわり机があって、ダイヤルやボタンのならんだ黒い機械、テープレコーダー、『周波数帳』と書かれた厚い本、アンテナのついた小型の機械などが置かれていた。机の下には、車の雑誌が、数冊積み上げられている。
笹岡はあぐらをかいてすわると、八木のつくってくれたシーバスの水割りをなめた。
『笹岡さん、タクシーの運転手をしていたんですって』
と八木がいった。
『どうして知っているんだ?』
不安が、笹岡の胸に影を落とした。
『社長に聞いたんです。笹岡さん、自分のことほとんどいわないから』
社長の飯塚の顔が浮かんだ。60歳になる男で、白髪まじりの短い頭髪、いつも笑顔を絶やさず、にこやかな表情を浮かべている。
よけいなことを……笹岡は、舌打ちしたい思いであった。
『ほかに、何かいっていた?』
『いいえ。タクシーがきつくなって、やめたんだって。そんなにきついんですか』
『ああ……うん。大変な商売だ。事故件数にしても、一般車両の3倍ぐらいはあるだろう』
『そんなに。笹岡さんも、事故か何か起こしたんですか』
『いや……そうじゃない』
笹岡は言葉を濁した。過去のことにはふれられたくなかった。とくに、タクシーをやめてから数年のことには。それを語れば、八木の笹岡を見る目も変わってくるかもしれない。笹岡はそのことにおびえた。
『ところで――』
と、笹岡はいった。話題を変える意味もあった。
『いいものを聞かせるって?』
『ええ』
八木の表情が、急にパッと明るくなった。
机に近づくと、黒い箱のような機械のスイッチを入れた。ディスプレイにライトが灯る。八木の指が、ボタンやダイヤルを操作した。と、機械に内蔵されたスピーカーから、声が流れ出した。
若い女の声だった。それに、男の声が交じる。
しばらく聞いていて、笹岡はそれが電話での会話であることに気づいた。二人は、恋人どうしらしい。
『これは?』
と笹岡はきいた。興奮が、彼をとらえていた。脈拍が速くなっているのが、自分でもわかった。
『コードレスホンの電波を傍受しているんです』
八木はうれしそうにいった。
『盗聴か』
『やだなあ。盗聴なんていわないでくださいよ。合法的な電波の傍受なんです。別に、盗聴器をしかけたりしているわけじゃない』
『へえ、しかしね……』
笹岡はおどろきを感じていた。八木のいう『傍受』が、こんなにも簡単にできるものなのか。
笹岡がそのことをきくと、
『そりゃあ、電波を使っている以上、だれかには聞かれますよ。喫茶店で、隣の席の会話が聞こえるようにね。コードレスホンというのは、いってみれば無線機と同じですから。聞かれる方だって、あまりにも無防備なんです』
あとで知ったことだが、八木のような受信マニアは、全国で50万人以上はいるという。しかも、そうしたマニアを対象にした雑誌まで発行されている。
『この女、渡部真弓っていうんですけれど――』
八木がにやりとした。受信機から聞こえてくる男の話にも、たしかに時々、『真弓』というよびかけがはいる。
『ほかの男ともかけもちしているんです。まったく、よくやるよって感じ』
『君は――』
といいかけて、笹岡はグラスに手を伸ばし、一口飲んだ。のどがひからびていた。
『いつも、この真弓さんの電話を聞いているの?』
『いや、彼女の電話とはかぎりません。電波のとどく範囲なら、すべて傍受できますから』
『それは、どのくらいの範囲?』
『一応、半径100メートルといわれてますけれど、実際は200メートルぐらいまではいります。障害物のない、高層マンションの上の階で電話を使用した場合だと、2キロも電波が飛ぶこともあります』
『2キロ……』
笹岡は唖然とした。いや、仮に半径200メートルとしても、その円の中にはかなりの数の住宅や建物がふくまれる。そして、そこでコードレスホンを使用した場合、プライバシーはすべて筒抜けになる……。それは、笹岡がいままで知ることもなかった世界だ。その世界で、八木は、喜々として遊んでいる。
『広帯域受信機っていうんですけれど、消防無線や航空無線、携帯電話、自動車電話なんかも傍受できるんです。ラブホテルにしかけられている、盗聴器の電波を拾うこともある。これを聞いていると、世の中がまったくちがったものに見えてくるんです』
笹岡はうなずいた。この見慣れた世界を、そうした電波が埋めつくしている……。そのイメージは、笹岡を興奮させた。
『その機械、高いのかい?』
と、笹岡は、興奮を悟られまいとして、わざとゆっくりとした口調できいた。
『ええ、まあこれは10何万かしますけれど、コードレスホンの傍受だけだったら、こっちのやつで十分です』
八木は、手を伸ばして、アンテナのついた携帯用の受信機を取った。
『これなら4、5万で買えます』
もともと、八木のような受信マニアというのは、徒党を組む性質のものではない。八木は、まるで仲間を得たように、うれしそうに機械の取り扱い方法を説明した。
『それから、これも一緒にそろえておくといいですよ』
八木は、卓上受信機とコードで接続してある、黒い平たい機械に手を置いた。ダイヤルとスイッチがついているだけの、おそろしく単純な機械だ。
『それは?』
『秘話解読装置。1万円ぐらいで買えます』
『………』
『いまのコードレスホンには、盗聴防止機能がついたりしているんです。もっとも、音声反転式の単純なやつだから、どうってことないですけど』
笹岡も、テレビのコマーシャルでそれを見たことがある。コードレスホンの宣伝で、若手の女性人気タレントが、『人の話を盗み聞きしちゃ、だめっ』というのだ。
『まあ、秘話がかかっているのは、全体の2パーセントぐらいのものですけれどね』
何日か考えたのち、笹岡は、八木に教えてもらった秋葉原のショップで、それらの機械を手に入れた。
……続く
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